山形を歩く
金曜日のホテルは、七日町のホテル
初めての土地を夜歩くのは実際の距離以上に
長く感じる、
途中、人通りもコンビニも飲食店もなく
どうしようかと思ったが、
七日町とはちょっと小洒落た界隈の様だ、
街路樹もありこの一角はちょっと違う
ストリートの様に思われた。
まぁ夜なので雰囲気だけ、
コンビニもあるし、モスも開いていたので、
久々にモスバーガーに行った!
ホテルをチェックイン後、
やり残しの仕事を片付けるが、やり残しという様な仕事でもなく、ガッツリと3時までかかってしまった。
ちょっと横になって、朝6時から開く温泉を待った。
ここは連泊ではないので10時にはチェックアウトしなくてはならなかった、
寝不足でしんどかったが次のホテルまで歩き
荷物を預けて、まずは定番の城址訪問、
山形城址へ、
霞城と呼ぶらしい、
駅西口は広々としている。
想像するにかつては城址だけで他には何もなかったのではないか?
駅前をこんなに贅沢に使っているところも珍しい様な気がする。
最上義光、
南北朝時代の斯波氏の流れをくむ家系らしい。
かなり広い城だ、
JRの線路を越えて泊まった七日町にまで範囲は及んでいたらしい。
恐るべし、最上一族だが、
残念ながら全国区ではないなぁ、
みんな知らないよねぇ、
もう一つの関ヶ原、
上杉軍が攻め込んできたのはここだったらしい。
直江兼続との激戦を凌いだらしい。
そして関ヶ原後、なんと57万石の大名に!
しかしそれでも申し訳ないけど、
マイナーだなぁ、
城散策後、最上義光記念館に入る、
ここで駒姫の悲劇を知った。
秀吉という男は本当に闇が深い、
成り上がり者のダークさの極みだなぁ、
その後最上家はお家騒動で1622年だったかな、
改易に、
栄華が短かったのも、メジャーになれなかった
原因かも知れない。
旅で知る史実、
とても大事なことである。
その後も歩き続け、
市内を見下ろす小さな山を目指すことにした、
盃山と地図に書いてある、
途中、桜が咲いていた、
一期一会、
再び会うことはないであろう、
そして
山形大学にやってきた、
腹が減ってきたし、この先何もないかも知れないので、野菜ジュースと菓子パンをイートイン。
ついでにわっかない平和マラソンの料金決済も済ませた!
大学の目の前なので、そこそこ混んでいたし
若者が多かった。
駅そばには若者は少なかったが…
いつも旅先で考えること、
もし大学が山形だったら、
どんな学生生活をしたのか、
もし転勤で山形に来たら?
山形大学の方は少しずつ標高が上がっており
緩やかな上り坂になっている。
閑静な住宅街が広がり住みやすそうな気がした。
しかしここで営業しろと言われてもなかなか厳しいものがありそうだ。
法人は限られているし、人も少ない、
あと、冬はどうなのか?
とは言っても、
おそらくここで働くことはないだろう(爆
そんなことを考えていたら山の側まで来ていた!
スマホで位置を確認したら、
それは違う山であった🤭
千歳山というらしい。
しかも盃山より高いではないか、w
まあよかろう、
ささっと登ってしまおう、
今回は旅ランしようと思っていたが、
シューズとかウェアとか荷物になるので
置いてきた。
なので山に登ってトレーニングだ!
階段を上がると神社があり、
そこからは鳥居がしばらく続いた。
そこから先は普通の登山、
スニーカーだったのでちょっと登り辛かったけど、
山形の街は一望できた、
あれは月山?
頂上まで行くと、背中にはびっしょりと汗が、
いい運動になった、
汗も乾いたところで下りることにした。
意外にも結構登山する人がいた、
誰も居ない道で迷わない様になんて思っていたけど余計な心配であった。
帰り道、振り返ると今登ってきた千歳山が、
手頃に楽しめる山であった!
この通りを下って行けば、
そのまま山形駅へ、
いい通りだ。
山形南高校があった。
公立の割にはきれいな高校、
確か、以前甲子園に出ていた様な、
みなみ、みなみと応援していた記憶が…
そんなことは覚えている(爆
今ついでに調べたら、
昭和55年が最後、
当時同じく高校生だったから覚えていてもおかしくないが40年も前の話である。
時は流れた!
しかしそれよりもこの高校、
偏差値が半端ない
恐るべし、
山形南❗️
さて緩やかなくだりをダラダラと駅まで帰ってきて、ホテルにチェックイン、
風呂に入って汗を流し
缶ビールを飲んだら、寝てしまっていた。
疲れたし、寝不足だし
しょうがないよね、
お疲れ様、
歩数はなんと2万越え
獲得標高はたぶん500m(爆
時計持っていかなかったのでw